3月になると、『早春賦』や『仰げば尊し』の歌声がどこからか聞こえてきます。卒業式のシーズンです。卒業ソングも時代とともに移り変わって、ポップ調のものもたくさん歌われています。卒業は、別れではなく旅立ちの時のなのです。

私は、花粉症に悩まされながら、うっすらと霞がかかった空が、早くすっきりした青空にならないかなと、待ち遠しく思います。春一番が吹き、春の嵐が通り過ぎて、本格的な春の訪れとなるのはもうちょっと先なのでしょうか。

私たちは、季節を月ごとに四つに割り振って、何となくそのイメージで日々を過ごしています。今日は2月で冬、明日から3月で春なんて、すっかり世の中が変わってしまうくらいイメージが違いすぎます。

しかし、たった1日でも季節の区切りを感じてしまうのは、日本という四季を中心にした風土に生きる、私たちに沁みついた習慣でもあるのだと思います。

 

平安時代の宮中女性に端を発する着物の組み合わせに、襲の色目(かさねのいろめ)と呼ばれる色の合わせ方があるそうです。冬の寒さは、体はもちろん人々の心も冷たく感じさせますが、色の組み合わせとして残る「雪の下」(梅に雪がかぶっている様子)や「枯色」(緑に薄茶色をかぶせた組み合わせ)という名前をみれば、それは昔の人の情緒深さを感じます。枯れ色、枯野の薄茶色、氷の白、その中に寒椿の赤が色味を付けていきます。

しかし、今日、3月からは、春は新緑が芽吹くことから、緑(青)の組み合わせがよく見られます。古来より日本人が好んだ桜色(ピンク)の組み合わせも多く垣間見ることができます。一気にパステルカラーの季節です。街のウィンドウも、春色のディスプレイにいつの間にか早変わりです。

梅の紅色、柳の緑、桜のピンク、菫のすみれ色、萌黄色、藤のうす紫、山吹の黄色、春の色は自然の植物によって固有化していきました。そして、遠く平安時代から、装う着物に色を映していったそうです。今と現代、遠い時間で隔てられていても、根底に流れている自然への崇拝は、大げさではなく、粛々と受け継がれていっているということでしょう。

 

先日、能狂言師の野村萬斎氏の舞台を見る機会がありました。狂言は、今から600年ほど前、室町時代に能とともに成立した、日本特有の伝統芸能ですが、能楽と違い、一般の庶民の日常を面白おかしく表現しているのだと、始めに氏から解説がありました。2階席の私から見ても、その赤や緑の色合い、そして織模様まで感じられるほどの衣装に、私は、もう一つの興味が湧いて見ていました。

狂言は、能の多くが荘重・悲壮な内容であり、舞歌を中心とした幻想的・象徴的な劇であるのに対して、狂言はセリフとしぐさを中心とした写実的・喜劇的な対話劇です。日常的な事柄のうちに、庶民の誰もが持っている生活感情の機微を洗練された笑いに表現しています。この狂言の笑いこそ真に人間らしい感情の表出であり、健康で大らかな人間への賛歌であるのだそうです。独特な言葉であっても、その動きや足音、人の感情や滑稽さが感じられ、私も、歴史を超えても楽しむことができました。

 

もうすぐ、桃の節句ですが、ひな人形に着せられている着物一つを取っても、色、色合い、組み合わせをおろそかにしない、日本人の几帳面さと生真面目さがそこにあるような気がします。受け継がれた伝統ですね。

季節ごとの様々なしきたりを通して、積み上げてきた歴史や、受け継いできた美意識を私たち自身がしっかりと感じ取って、後世に繋げていきたいと思っています。

今日から、私も、春色の洋服に衣替えです。

Photo by mizutani